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始まり以前
2006 / 07 / 12 ( Wed )
景子と知り合ったのは、彼女がまだ高校生のとき。私が母校に教育実習に行った時のこと。教えたわけではなかったが、放課後に生物クラブのOBとして部室を覗くと、そこにいたのが当時2年生の景子だった。母校は大阪でも指折りの進学校で、女子生徒の多くは精神年齢の低い同学年の男子生徒のアホな生態を、あきれるような目で見ていた。景子も賢い女の子特有の雰囲気を持っていた。メガネをかけていて、額が広く、口元がきりりとしていた。制服が良く似合っていて、清潔な感じがした。で、菊川玲や高田真由子などと同じ、他人を射抜くような目。後に友人に景子を紹介したとき「分裂質の目」だと言った。実際、私の第一印象は「えらい賢そうな娘やな。でも融通は利かなそうや」というもので、彼女の方は「なんかボーッとした人」だったそうだ。二言三言、何かを話したが、それっきりだった。しかし、2週間の実習期間の間、放課後はほぼ毎日部室に顔を出していたので、お互いに顔を覚えるくらいにはなった。というのも、その後一度だけ市立図書館で偶然会ったことがあって、お互いに相手が誰だかは分かったので、挨拶はしたのだった。でも、やはりその時もそれだけ。

親しくなったのは2年後、生物部のOB会で顔をあわせるようになってからだ。このOB会はなかなか活発で、文化祭のときには総会を開き、現役の高校生部員と交流会をした。高校生も大学生や社会人と話すのは刺激になるようで、交流会のあとは近くの飲食店で2次会をしたりした。また、年に数回、近郊の山で植物の観察会を行い、夏には、山小屋泊まりではあったが、北アルプスや南アルプスを縦走したりもした。数年に一回、機関紙も出していた。

景子はO大学薬学部の学生で、私はK大学農学部の大学院生になっていた。一緒に観察会に行き、夏の合宿にも参加しているうちに、気心も知れて、良く話すようになった。山小屋というのは男女の区別なく雑魚寝をするので、横に彼女が寝ることもあった。消灯の後、暗闇と他の泊り客の鼾の中、小声で色々と話をすることもあった。山行の後の飲み会のときなど、いつの間にか彼女が横に座るようになり、打ち合わせと称して私の下宿に良く電話がかかってくるようになった。しかし、この頃もまだ仲の良い友達に過ぎなかった。
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00 : 11 : 29 | 景子と | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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